「尽(ことごと)く用兵の害を知らざる者は、則ち尽く用兵の利を知らざるなり」
以下、字数制限のため訓読、本文の一部、注を省略。全文は、こちらを閲覧されたい戦をすることで生じる損失を熟知していない者は、戦による利益も十分に理解していないのと同じだというのである。
治療も同様で、病所への直接(攻撃)的な治療による得失は、よくよく知っておく必要がある。
そもそも戦をするためには、「日費千金、然後十万之師挙矣」
*1というように、それなりの兵力や物資が必要となり、相応の費用がかかるものである。
「其用戦也、久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈、久暴師則国用不足」というように、もし戦争が長引けば兵や軍備が疲弊するだけでなく、国費もそれだけ不足することになる。そうなると、「夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乗其弊而起、雖有智者、不能善其後矣」というように、兵力も国家の財政も困窮し国力が衰えたことに乗じて、諸外国が攻め入ってくることは必定であり、もはや智謀に優れた軍師をもってしても防ぎ守ることはできない。
治療についても重篤な病になればなるほど、作用(副作用)の強い薬の投薬量が増え、大がかりな手術が必要になり、それだけに体への負担も大きくなる。それで終わればよいが、病の重さに比例して再発の確立も高まり、数度にわたって重い病を繰り返すことも少なくなく、それに合併症の危険性も増すことだろうから、体への負担はなお大きくなるばかりである。長年にわたる消耗の果てに生じる病は、複雑かつ難症であることがほとんどで、予後も良好とはいえないものばかりであるから、名医をもってしても成否は定かではない。総じて治療による体の消耗はより大きく、その期間も長くなり、治療費も莫大な額になる
*2。
戦による損失とは、ほかならぬ兵や軍備の疲弊と国費の消耗、すなわち国力の衰退である。
治療による損失とは、体の大きな消耗と散財、もっといえば寿命が縮小し家運が傾くことにほかならない
*3。
《中略》
だから、「故兵貴勝、不貴久」といい、また「故知兵之将、民之司命、国家安危之主也(故に兵を知るの将は、民の司命、国家の安危の主なり)」というのである。
繰り返しになるが、戦争は勝つことが第一であるが、だからといって長くするべきものではない。戦争の利害得失を熟知する将軍という立場の人は、人民の生死を左右し、国家の存亡を決する主宰者なのである。
治療もまた成功することが第一であるが、攻撃的な治療は体への負担が大きいだけに、長く続けたり、何度も行うべきものではない。治療による得失を熟知する医者は、人の命(生死)や財産を預かる役目を負う者なのである。
《中略》
これは、原因の所在をどこに求めるかという問題でもあるのだが、例え肩や腰の痛みであっても、それを病所(症状を感じている場所)そのものの問題としてではなく、五蔵という身体の全てを実現する内部システムの不調和[により生じている症状の一つ]として捉えること、それが中国医学の身体観であり病態観なのである。こうした観点から、日々の生活で生じる五蔵の不調和をこまめに調整(是正)していけば、それによって生じる諸症状は軽いうちに解消していける、あるいは重くせずに済ませられるという発想、いわゆる未病治という考え方が生まれるのである
*4。
そのためには、週一回の治療が基本になり、相応の予算を組む必要がある
*5。